■ 打撃コーチ就任へ、改めて山崎武司という打者を振り返る
工藤新監督のもとで、山崎武司さんの1軍打撃コーチ就任が決定的になった。若い竜党には「楽天のおじさん」「解説の人」という印象かもしれない。しかし山崎武司は、中日で生まれ、中日で本塁打王を取り、最後は中日でユニフォームを脱いだ打者だ。改めてその現役時代を振り返ってみたい。
■ プロフィール
1968年11月7日生まれ、愛知県出身
愛工大名電高から1986年ドラフト2位で中日入団
右投右打、182cm・100kg
通算2249試合、1834安打、403本塁打、1205打点、打率.257
本塁打王2回(1996年・2007年)、打点王1回(2007年)
工藤新監督とは愛工大名電の先輩後輩にあたる。
■ 中日時代:遅咲きの大砲、1996年に本塁打王
入団からしばらくは1軍に定着できなかった。1995年に16本塁打で頭角を現すと、翌1996年に大ブレイクする。
1996年:127試合 打率.322 39本塁打 107打点
打率3割を超えながら39本塁打で本塁打王。27歳での覚醒だった。その後も1997年19本、1998年27本、1999年28本、2001年25本と主軸を張り続けた。
1999年9月26日、阪神戦での逆転サヨナラ3ランは今も語り継がれる一打だ。優勝へ突き進むチームの中で、山崎のバットは何度も試合を決めた。
しかし2002年は26試合、打率.192と低迷。そのオフにオリックスへ移籍することになる。
■ オリックス、そして楽天へ:39歳で二冠王
オリックスでは2003年に22本塁打を放ったものの、2004年は出場62試合にとどまった。首脳陣と意見が食い違い、ユニフォームを脱ぎ捨てたこともあったという。このまま終わるかと思われた。
転機は2005年、新球団・楽天への移籍だった。そして野村克也監督との出会いが、山崎を変えた。
20代は「感覚でやっていた」という山崎が、野村さんのもとで配球を学び、選手としての視野が開けた。その結果が2007年だ。
2007年:141試合 打率.261 43本塁打 108打点
39歳になるシーズンで本塁打王と打点王の二冠。両リーグでの本塁打王は史上3人目の快挙だった。2009年にも39本塁打、107打点。30代後半にして全盛期を迎えるという、異例の野球人生だった。
■ 2012年、中日に帰ってきて引退
2012年、山崎は中日に戻ってきた。90試合で打率.209、5本塁打。全盛期の力はなかったが、最後は生まれ故郷のチームでバットを置いた。2013年限りで27年間の現役生活に幕を下ろした。
■ 親分肌、好き嫌いは分かれる
山崎武司という人物は、選手の間で好き嫌いが分かれる印象がある。親分肌で、言いたいことははっきり言う。オリックス時代の衝突もその表れだろう。周りに合わせて波風を立てないタイプではない。
一方で、火事の現場に飛び込んで逃げ遅れた乳幼児を救出し、セ・リーグ会長から特別表彰を受けたというエピソードもある。大きな体でミニカーを集めるという意外な趣味もある。豪快さと人情味が同居した人物だ。
■ 解説を聞くと、野球脳は悪くない
豪快なイメージとは裏腹に、解説を聞いていると野球脳が悪いわけではないとわかる。配球の読み、打席での考え方。野村さんのもとで学んだものが、言葉の端々に表れている。感覚だけで打っていた打者が、考えて打つ打者に変わった。その経験は、今の中日の若手にそのまま伝えられるはずだ。
■ 最近の中日にいないタイプ
長打があり、チャンスでも物おじしない。山崎武司はそういう打者だった。
今季の中日を思い出してほしい。満塁で点が入らない。得点圏で凡退する。あと1本が出ない。細川の得点圏打率は.239、チームの打率は.228だった。最近の中日には、チャンスで「自分が決める」と打席に入る打者がいない。
山崎コーチには、技術だけでなくこの気持ちの部分を伝えてほしい。細川、石川昂、鵜飼といった長距離砲候補が、チャンスで物おじしない打者に育つかどうか。来季の中日打線は、山崎コーチの手腕にかかっている。
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